所有資格
2009.11.22 | 1級カイロプロクター取得 K&AK静岡学院 | |
2010.04.25 | カイロプラクティック 基礎編 K&AK静岡学院 | |
2011.04.17 | カイロプラクティック 上級編 K&AK静岡学院 | |
2012.04.10 | FACIAL MASSAGE SOIN de PARI’ S | |
2012.12.01 | LYMPHATIC MASSAGE SOIN de PARI’ S |
この度は「麻謝」のホームページにご訪問頂きまして、ありがとうございます!
「『カイロプラクティック』ってどんなことをするの?」とお思いの方も多いことでしょう。その説明のために「私とカイロプラクティック」についてお話しさせて下さい。
カイロとの出会い
私が、カイロプラクティックと出会ったのは10年ぐらい前の事です。 学校を卒業して社会人になった頃、ひどい肩凝りに悩まされ、毎日、鎮痛剤を飲んでいました。接骨院や針・全身マッサージなどにも休みの度に行っていましたが、正直なところ、肩凝りからくる頭痛は、治らないんだと諦めていました。
30代半ばで事務の仕事をしていた時、同じ職場の40代の男性がぎっくり腰になって、腰を90度近く曲げておじいさんのような姿で歩いてました。ところが、数日後、しゃっきりと腰を伸ばして普通に歩くようになっていたので、ビックリして聞くと『カイロという施術を受けた』と。
私の肩凝りは、どうせダメだと思いましたが、藁にも縋る思いで、初めてカイロプラクティックという施術を受けてみました。今までにない、スッキリ感!!
その時、この技を覚えられたら、凄いなぁ~って思ったのです。 患者として2週間に1回を定期的に通うようになって3ヶ月したら、前のように薬を飲む事がなくなりました。
カイロの勉強を始める
この技を身に付けたいという思いは強まる一方でしたが、習得にかかる時間と費用を考えると一歩を踏み出せないままに3年がたってしまいました。その頃、二人暮らしの母が時折体調を崩すことがあって、私が今のお勤めをしていると、いざというとき看護どころか通院の送り迎えも難しいと不安になりました。
2009年の春、“私のように肩凝りや偏頭痛で困っている人を、治してあげられたら”との思いと、母の体調についての不安がますます高まり、ついにカイロプラクティックを習いに通い始めました。40歳になる前の一大決心でした。
始め、母に内緒にしていたのですが、隔週の日曜日、朝から夕方まで留守にするのをとがめられ、「実は・・・」と打ち明けたところ「手に職を付ける事はいいことだから、最後まで諦めずに頑張りなさい」と励まされました。
それから、3か月後の8月。7年前の朝、静岡で大きな地震があった日に、いつになく、母の具合が悪そうで、私のかかりつけの医院に、行きたがらない母を無理やり連れていきました。
告げられたのは『母さん、ガンだ』と。 すぐに大きな病院に紹介状を書いてもらい、“検査だから”と母にウソをついて、私の車で病院へ。その時、車内には福山雅治さんの〝道標〟が流れていました。
入院して、わずか3日で、 母は天国に逝ってしまいました。悲しくて悲しくて、身も心もボロボロになりました。でも、「最後まで諦めずに頑張りなさい」との母の言葉が私を支えてくれました。2年という月日を経てカイロプラクティックを習得して、何とか資格を取ることができました。
感謝と決意
その2年の間、友達や知人が、へたくそな私の施術を文句も言わずに受けてくれていました。本当に、この方々には感謝してもしきれません。亡くなった母にも、やってあげたかった・・・。 今でも、来てくださる患者様に、「ありがとうございます」と心から感謝しています。
患者様から、『腰が痛くてコルセットを手放せなかったけど、体の歪みの調整をしてもらっているから、コルセットは全く必要なくなったよ』とか、『ムチウチで、季節の変わり目や雨が降る前になると首が重たくなって、鎮痛剤が手放せなかったけど、ここ数年、薬も飲まな くなっちゃったよ』とか言っていただけると、ただただ、嬉しい!
まだまだ、勉強不足。でも、“少しでも楽にしてあげたい、笑顔にしてあげたい”って気持ちで、いつも、施術しています。 こんな私でありますが、これからも、なお一層、技術を磨き、頑張ってやりますので、宜しくお願いします。
お店の名前 “麻謝”
福山雅治さんが大好きな私であります。自分の名前「麻子」と、患者様、お客様に感謝するという意味で、“麻謝”とつけました。
〝道標〟『私は この手が好きです』という言葉で始まります。この曲を聴くと、どんな時でも涙が出てきます。母の笑顔を思い出します。“私の為にいろいろと我慢してくれた母さん、この健康な体をありがとう、そして、たくさんの愛を注いでくれて本当にありがとう!”
私は、私の〝この手〟で、誰かを助けてあげられたら・・・と思っております。